Sangsun Bae
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会場入口に吊られて宙に浮く、白く細長い円柱が緻密に組み合わさった立体作品《フローティ ング シニフィエ》、そして、南側の窓辺に立てかけられた額内に、荒々しく描かれ た黒い縄の結び目が鎮座する平面作品《. ブロークンノット》。この対照的ともい うべき作品の作り手は、それぞれ、マイケル・ウィッテルと裵相順である。精緻・知的・理性 的......これらがウィッテルの制作を形容できる言葉とすれば、裵の場合は、大胆・屈強・感覚 的......などと言い表せるかもしれない。
作品から受ける印象は一見対極といっても過言ではないが、両作家とも「体」への興味が制 作に反映されていることは確かである。
ウィッテル《バードコール、フルムーン》 において円環状に連なる 18 個の形 状は、鳥の肺機能に着想を得ており、目を凝らすと、繊細な気管から何らかの気体が排出され ている。16 畳の畳上に堂々と横たわる大作《乾季における乾いた脳の思考》 の 屋根は頭蓋骨、その下に配置されている水道のパイプは脳の血管をイメージしたという。 一方、裵の平面作品は、元々、実際にモデルと対峙してとらえた人体の輪郭線から始まって おり、《ブロークンノット》のモティーフは縄でありながら、手・足・頭の無いトルソ(胴体) のようにも、男性器のようにも見える。 生物医学を学んだウィッテル特有の体への視線は、内臓や分泌腺、代謝経路など目視し難い、 体内またはミクロ的な世界へ向かっているが、裵の興味は、体外との関係を意識した量塊とし ての身体にあり、それは「肉体」という表現に近い。また、肉体どうしの「間」へも拡大させ た関心が制作に影響している。
これらを踏まえてさらに両者の作品の共通項について考えを巡らせるとき、「線」というキー ワードを挙げることは見当外れではないはずだ。
裵 《無題》(2004) は、抽象的な画面のほとんどが黒い色面で覆われ、筋肉繊維の ような線の束が色面どうしを橋梁のようにつないでいる。裵の作品はその後、具象化をたどり、《蛹期(I)(, II)》(2011)では、「結び目」をモティーフに、限界まで絡ま り合う線が認められる。そしてついに、本展開催の年に手掛けられた立体作品《. ブロークンノッ ト(彫刻:黒)》(2013) では、線が切れた、その瞬間がとらえられているかのようである。 さらに最新作では、つながりが断たれた線を主題としてさまざまな媒体で連作に挑戦してい る。シルクスクリーン《ブロークンノットシリーズ(版画:金、銀、赤、黒)》では、 2004 年当初画面を覆い尽くしていた絶え間ない連結が断ち切られ、十分な余白を周囲にとり、 画面中央で縄のイメージが潔く起立している。 多くの彫刻を制作しているウィッテルの
「線」とはすなわち、二次元のそれよりも管や回路 と言い換えられるだろう。冒頭でも触れた《フローティング シニフィエ》が毛細血管を彷彿と させるのは、四方八方に伸びる白い枝々のような形態だけでなく、大小の円柱の丸い断面に塗 られた血液のような赤にも因る。本展出品まで白であった断面は、直前に塗り替えられたこと によって切口として、境界としての性質が強化されている。 このように、両者の作品に見られる線は、接続する線、もしくは、切断する線と捉えられる。 前述したとおり、ウィッテルの一連の作品、裵の近作においては、後者の様相が強いようである。 しかしながら、8 畳間に展示されたウィッテル 《メモリアル》の矢は、何からも 独立した「切断」線であると同時に、矢じりが方向性を、羽根が速度を感じさせ、「接続」線と なる可能性も孕んでいる。
「...線を作れ、決して点を作るな!スピードは点を線に変容させる!速くあれ、たとえ場を動 かぬときでも!...」
上記はフランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95)と精神分析家フェリックス・ガタリ (1930-92)の共著『千のプラトー』(1980)の一節である。この著作のなかで、分かれている こと/つながることは共に肯定され、また、切断し、接続し、切断し、その上での再接続が
語られる 。ii 再接続。このことを念頭に置き改めて本展を眺めると、切断された線であるはずの《ブロー クンノット》の切口に見られる、乱れた繊維のほつれ、《フローティング シニフィエ》の円柱 の丸い断面上から伸びる、もう一回り細い円柱などが、再び接続線となる兆候のようにも感 じられ始める。
ところで本展では、ウィッテルと裵の合作が初めて本格的に試みられることになった。「眼」 を想起させる合作《ターゲット》は、同心円状の線によってタイト ルどおり「的」に見える。暗闇に光る右目はまばたきをしているかのように点滅し続ける。 眼頭からのびた長いコードによって送電され、暗↔明、切↔入を延々と交互に行き来し、こ こでも「切断」と「接続」とが繰り返されているのが分かる。 このような妄想は許されるだろうか。ウィッテル《メモリアル》の無数の矢や、裵の、男 性器のようにそそり立つ《ブロークンノット》の頂点が、ベクトルとなり会場 2 階の暗闇に 潜む “ 標的 ” に向かう様子。しかしそれらが《ターゲット》へと飛んで行き、見事その中心に 刺さったとしても、つながった「線」は、その余韻に酔う間もなく両作家の手によって接続 点から引き抜かれるにちがいない。再び、つなぎ/分かち-つなぎ、新たな制作の地平を開 き続けるために。
Translated from Japanese by
Gen
Machida
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